2019年3月31日日曜日

透析中止について思うこと

気づいたら3月31日で今年度が終わってしまいそうでした。明日4月1日には新元号まで発表されるとのこと。2019年になってから1回もブログの更新をしていないことにも気づいてしまいました。当院では既になるべく西暦を使うように変えているので、あまり影響はないと思いますが、それでも元号は気になりますね。
今回は福生病院での透析中止の問題について少し思うことを。報道された当初は、マスメディアや一般的には透析中止が間違っていたのでないか、病院側に非があると言った論調が多かったように思います。一方で主に終末期医療を行っている医師からは、擁護まではいかないまでも透析中止の方針を支持する意見が多かったように感じました。私自身は、当初はどちらかかと言えばマスメディアに近いというか、しっかりと経緯を検証すべきと思っていました。癌の終末期の緩和ケアと違って、透析患者にとっての真の緩和ケアは「透析を続けること」という矛盾というか、ジレンマがあると思ったからです。なぜ透析中止の判断に至ったのか、その後の患者さんや家族へのケアはどうされていたのかを主治医や病院が公表した方がよいと思っていました。
先日の記者会見を直接見たわけではないので、詳細は分かりませんが、少なくとも主治医はできる限りの処置をしようとしていたが、患者さん側に中止の希望があったということだったようです。本当に中止への誘導がなかったのか、複数回の話し合いをしたのか、家族は納得していたのかなどは、明らかになっていないのかもしれません。しかしおそらく主治医も悩んだと思いますし、問題になったことで精神的な負担を感じているのではないかと思います。我々部外者が意見を言っても当事者にしか分からない事情もあるでしょうから、今後の検証を待つのがよいのではないかと思っています。
終末期医療の問題は難しいと常々思っています。ご家族と(時には本人とも)何回か話して方針を決めても、亡くなったときに医療者や介護者を含めて 皆が本当によかったと思えるかは分かりません。松本市医師会で作成したリビング・ウィル(事前指示書)が近々公表される予定ですが、これをツールとして活用して、皆が納得できるような終末期医療が実現できるようになればいいと思っています。